2008年10月23日

タバコ

ゆら〜りと薄紫色の煙を漂わせその隙間からぼんやりと向こうを眺める。そしてその先にはたいてい自分の好きなものがある。それは好きな人だったり、冗談だったり、風景だったり、歌だったり、漫画だったり、ゲームだったりとあらゆるお気に入りの日常がある。

そんな時間を長い間過ごしてきた僕にとってはタバコを止めることは自分の体の一部を切り離すような、大げさではなく長い間一緒に過ごしてきた恋人と別れるような感覚だった。無意識に、ふと手を伸ばせばいつもそこにあるはずの何かが突然消え失せたような生活が始まった。

人間の吸うという原始的な欲求を、くわえタバコが満たしてくれていたせいなのだろうか。その何かが唇に残る感覚などはとても心の深い部分に残っている気がする。止めて3年経った現在もふと吸ってみたいと思うときがある。その欲求はすぐ消えていく気まぐれのようなものだけど、確実にまだ心のどこかに残っていて忘れないでおくれとささやいている。

いずれ年老いて死を迎えるときに再びタバコを吸い始めようと思っている。ぽかぽかと日の当たる縁側で、長いキセルから煙を昇らせ、その煙の隙間からかつてのようにぼんやりと好きな対象を眺めたい。その時その先に見える物は何だろう。今はその時が来るまでの長い長い禁煙生活なのかもしれない。

2008年07月13日

人間の本能

泣いたり笑ったりする赤ちゃんを見ていると、人間って本来は感情のままに生きる生き物なんだということがよくわかる。お腹がすいては泣き、眠くなって怒り泣き、楽しいと「二カッ」と目を輝かせ言葉にならない声を出す。

お腹がすいて辛くて泣くのはわかるんだけど、眠いときの鳴き声というのは明らかに怒りが入ってるように感じる。でも見た目は同じ泣き方をするのでこの差がわかりにくい。大人が怒るときは何か理不尽なことをされたときや、誰かの悪意を感じたとき理屈や暴力を使って相手を責めるたりする。そうすると俺の方が正しいとか、相手を懲らしめてやろうとか、どうでもいい不毛な戦いになってしまう。

でも赤ちゃんは泣くだけ、怒ったときも辛いときと同じように泣く。赤ちゃんが僕らの人間の持つ原始的な本能の姿を現しているとしたら大人も怒ったとき何かに対して怒るのではなく、ただ泣くべきではないだろうか?

そこを泣かずに冷静なふりして理論立てて相手を追い詰めて、ストレスを解消したりするから不毛な争いが起こるんじゃないのか。大声で顔真っ赤にして「びぇぇぇええええん!」と泣いて怒りを自己完結することが出来たら世界は幸せになるだろう。泣き終わった後のホワッとした娘の笑顔を見てそんなことを思った。

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